マキャベリ(2) メディチへの献呈の辞

マキャベリ「君主論」は、ロレンツォ・デ・メディチへの献呈の辞と26章からなっています。1章ずつ読むのは歴史背景が難しいので、私なりに面白い言葉を背景付きで抜き出していきましょう。その方向で書かれた本は既にあり、塩野七生の「マキアヴェッリ語録」で、いろいろな本から文章の一部だけを抜粋しているものですが、面白いです。 メディチ家はフィレンツェの銀行家として成功したのち政治家となり、フィレンツェを支配していましたが、フランスとの紛争に敗れてフィレンツェを追放されました。その後マキャベリが共和国の官僚・外交官として活躍しましたが、近くの港湾都市ピサの併合に失敗してスペインの介入によりメディチ家が復帰し…

世界の研究所 インド Raman Research Institute

今週の世界の研究所はインドのバンガロールにある Raman Research Instituteです。 バンガロールはインド南部の標高920mの高原にあり、IT産業の中心地になっています。 夏の最高気温の記録は38.9℃で、通常34-5℃、冬は最低記録が7.8℃、通常15℃で、日本のほうが過酷です。 ラマン(1888-1970)は、彼の名前で呼ばれる分光法の原理を発見して1930年にノーベル物理学賞を受賞しました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%BB%E3%82…

マキャベリ(1) フィレンツェの古い橋

金曜日の読書は来週からマキャベリ「君主論」です。Niccolò Machiavelli(1469-1527)はルネッサンス期、イタリアが都市国家群であったときのフィレンツェの外交官・著述家です。イタリアの歴史は複雑で面白いです。フィレンツェは中世では毛織物と金融で富裕な都市でした。中心部は世界遺産です。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%84%E3%82%A7 Ponte Vecchio (古い橋)という店舗がある橋が有名です。インテルの次世代GPUのコードネームになっています。これ…

墨子(6) 「墨攻」を見て千早城を思い出す

今日で墨子は終わりにしようと思っていますが、何を取り上げようか悩みます。一部の節は「なぜ」「○○だから」「では、それはなぜ」と問を繰り返すスタイルで、現在でも発想法として有効とされている方法を使っています。その結果、論理学の説明とも解釈される短文もあります。異色の思想家であることは間違いないでしょう。話は変わりますが、墨家による籠城戦を扱った日本の小説で「墨攻」というのがあって、漫画化され、さらに中国・香港・韓国・日本の合作で2006年に映画化されています。よくそんな題材を思いついたな、と感心します。webで購入できるので見たかったのですが、最近ちょっとバタバタしていて今日には間に合いませんで…

墨子(5) 墨守

墨子関連で現在まで日本語に残っているのは「墨守」でしょう。「因習を墨守する」のようにあまりよくない意味に使うと思っていたので、良くない故事があるのかと思いましたが、「公輸」のところで出てきた、「雲梯」との机上戦で9回戦って9回とも防衛に成功した、という故事からきているとのことです(解釈が最近変わったのかと思って古い広辞苑を見ましたが同じでした)。 ただし、墨子から3代目のリーダーの下、城の守備に失敗してリーダーもろとも180人(400人?)が城と運命を共にした記録が残っています。これは楚との戦闘で、墨家はまだしばらく続きましたが、戦国時代を終わらせた秦との戦闘でも似たようなことがあって、墨家が…

一人でいろいろやっていたオランダ黄金時代(17世紀)の人たち

オランダの国家としての意思決定に誤りが少ない理由を調べましたが、よくわかりません。ヨーロッパはずっと争いが続いていましたが、特に政治的に派手な指導者が出たわけではないようです(地味なのがいいのかもしれません)。 17世紀に経済的飛躍を遂げ、それに伴い芸術と科学で発展がみられたというのは確かです。 その背景にはカルヴィン派のプロテスタントが集まっていたことが要因として挙げられています。宗教的理由で経済的成功を重視し、そのために一生懸命働いたということのようです(昔、大学1年の教養の授業でMax Weberのその趣旨の本を習いました)。 https://ja.wikipedia.org/wiki/…

世界の研究所 オランダ デルフト工科大学の Kavli Institute of Nanoscience

今週の世界の研究所はオランダ デルフト工科大学 (TUDelft)のKavli Institute of Nanoscience を取り上げます。 https://kavli.tudelft.nl/ 米国のKavli(カヴリ)財団が出資して世界のあちこちに研究施設を作っています。日本には宇宙論の研究所が東大に作られています(いずれ取り上げましょう)。ここはナノ加工技術を使った電子工学・生物化学・量子物理にまたがる分野を研究しているようです。我々の研究分野にも近いので、いろいろ刺激を受け、「やられたー」と悔しい思いをすることもあります。Casimir Research School というオラン…

墨子(4) ピンホールカメラ

墨子は、先週のyoutubeで言いたいことはほぼ尽くされているので、あと数回こぼれ話的なところをやって、マキャベリ「君主論」に移ろうと思います。今回は、気になっていたピンホールカメラ(小孔成像)の発明とされているところです。 https://learning.sohu.com/20170810/n506260353.shtml 私には正しいかどうか判定できませんが、光について語っている一連の短い文章で、「端」という字が古語で「終極」→「小さい点」の意味、そこから離れると大きくなる、「到」→「倒」反転している、下のものは高くなり、高いものは下になる、庫に景がある、などの文があります。まさに判じ物…

初期のビデオカメラは電子線で走査して画素信号を得ていた

今日はビデオカメラの話をしましょう。古くはニプコー円盤+1点の光検出器ですが、円盤の回転は速度に上限があるため、電子的に二次元情報を取り出すためにいろいろな工夫がなされました。今は、画素を2次元の縦横の配線で指定して強度を読みだす仕組みがありますが、微細加工が必要です。微細加工技術がない時代は、電子線を走査して、特定の画素にあたった光を素子全体の電流として取り出しました。ブラウン管の蛍光スクリーンを光を感じる物質にしています。面白い発想だと思います。米国のPhilo T. Farnsworthの14才の時の考案と言うのが驚きです(実現は1927(21才)だが、14才の時のノートが特許に寄与。そ…

テレビ装置の歴史 走査線の発明

テレビ装置の歴史は下記がよくまとまっています。 https://www.thoughtco.com/television-history-1992530 二次元の画像を時間で動く走査線上の点の強度を使って一次元化するというアイデア(1883年)は画期的で、無線の開発(Malconiによる接地の重要性の確立 1895年)、電気的表示装置(ブラウン管 1895年)の発明を伴ってテレビ開発の端緒となりました。走査線は現ポーランド、当時ドイツの生まれのPaul Nipkow(1860-1940)によるものです。しかもそれを円盤に描いたらせんに沿って開けた穴でメカで実現したのは素晴らしく、私は何度見ても…