西行(12) 願わくば・・・

今週もあくせくしているうちに金曜日になってしまいました。金曜日に読んでいる西行(さいぎょう)の解説書は西行の死で締めくくられます。有名な次の歌(死去の10年前の63才のときに詠まれた)で終わるのは西行論の定番です。 願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ Let it be in spring / and under cherry blossoms that I die, while the moon / is perfect at midmonth, like it was for is peaceful passing his = Buddha です。 ※解説を1冊読むと、…

西行(11) Awesome Nightfall

金曜日に読んでいる西行(さいぎょう)の解説書は次回で終わりにします。今回は、西行が日本の詩が「わび・さび」の方向に向かう創始者になったのはなぜか、について、日本人研究者たちの著作を引用して検討しています。 “I suggest it has something to do with relinquishing -… through Buddhist practice - the framework within which one set of things is viewed as desirable and their opposite as distastefu…

西行(10) 銀の猫

金曜日に読んでいる西行(さいぎょう)の解説書は西行の最後の東北への旅の続きです。69才で徒歩で行くのですから気力と体力が伴っていなければなりません。 「吾妻鏡」に有名な記述(真偽不明)が紹介されています。 1186年8月に鎌倉を通った際、頼朝に和歌の講義に加えて、弓と馬術の技術について語ることを依頼されますが、「出家の際に家伝の弓と馬術は罪深いものとして自分の心から消し去って忘れてしまった。 和歌については、月や花をみて心に感じたままを31文字に表しているだけで、特に深いことはない」と語って、贈られた銀の猫を門前の子供に渡して去っていったということです。 西行がこの旅で寄付を募りに行った平泉の…

西行(9) 小夜の中山

金曜日に読んでいる西行(さいぎょう)の解説書はあと2~3回で終わります。 69才の時(1186)、平清盛に破壊された東大寺の再建のための勧進(募金)のために東北の奥州藤原氏のところに向かう旅をします。この旅において有名な和歌とエピソードが残されています。 途中で静岡県掛川市の難所「小夜の中山」を通過するときに有名な和歌2つを詠んでいます。 (詞書) あづまの方へ相知りたる人のもとへまかりけるに、さやの中山見しことの昔になりたるける思ひ出でられて 年たけてまた越ゆべしと思いきや 命なりけり小夜の中山 Little did I guess / I’d ever pass so many years…

西行(8) 鴫立沢

金曜日の読書の西行(さいぎょう)の解説書は晩年に差し掛かります。本文は来週にして、今週は本の後半の和歌の翻訳で秋に関するものを選んでみます。 秋、ものへまかりける道にて こころなき 身にも哀(あは)れは 知られけり 鴫立沢(しぎたつさわ)の 秋の夕暮れ  (これは傑作として古来評価が高く、「三夕(さんせき)の歌」の一つとして知られています) I thought I was free / of passions, so this melancholy comes as a surprise: / a woodcock shoots up from marsh where autumn&rsquo…

西行(7) 源平の争い

ウクライナとロシアの争いが膠着状態に陥っている中でイスラエルとハマスの戦闘が勃発し、世界がきな臭くなっていますね。金曜日の読書の西行の解説書は今回源平の争いにさしかかっています。平清盛と西行は同い年で、西行が高野山に庵を構えたのは平清盛の働きかけがあったという説があります。源平の争いは国家を二分する内乱で、多くの人がなくなっています。この解説書は、「戦争は地獄で、人間の愚かさの表れである」とたびたび書いています。西行は平清盛による強引な福原遷都や内乱に関して多くの和歌を詠んでいます。 福原へ都うつりありときこえしころ、伊勢にて月歌よみ侍りしに 雲のうへやふるき都に成りにけりすむらん月の影はかは…

西行(6) 讃岐への旅

金曜日の読書の西行の解説書、今回は西行51才の時の四国への旅(1167)です。四国に行ったのは、讃岐に流されて4年前に亡くなった崇徳院と370年前に四国で育った空海(784-835)のゆかりの地を訪ねるためです。この旅で詠まれた名作がいくつかあります。 (詞書)讃岐に詣でて、松山の津という所に、院(崇徳院)おはしましけん御跡たづねけれど、かたもなかりければ。 松山の 波に流れて 来(こ)し舟の やがてむなしく なりにけるかな Having come to Sanuki, I was at a place called the Cove of Matsuyama. I looked around…

西行(5) 保元の乱と平治の乱

金曜日の読書の西行の解説書、今回は保元の乱(1156)と平治の乱(1160)の解説とその前後の和歌の紹介です。保元の乱は、鳥羽上皇と崇徳院(鳥羽上皇の子供とされているが、鳥羽上皇の父の白河上皇の子とのうわさがあった)の不仲からきており、鳥羽上皇が崇徳院に権力を与えないように、またその子孫を天皇にしないように設定したため、鳥羽上皇の死の直後にクーデターを起こしたものです。その日のうちに制圧され、崇徳院は勝者である後白河天皇により四国の讃岐に配流されました。崇徳院は西行と親交のある歌人でしたが、8年後に死去し、日本三大怨霊の一人になったとされています(他は菅原道真と平将門)。平治の乱は、後白河上皇…

西行(4) 月を詠む

金曜日の読書の西行は、月を詠んだ詩を紹介しましょう。出家後、鞍馬山、伊勢の次に高野山の近くに庵を構えます。 ふかき山に 澄みける月を 見ざりせば 思い出もなき わが身にならまし Passage into dark / mountains over which the moon / presides so brilliantly… / Not seeing it, I’d have missed / this passage into my own past. 「まし」は「~だろう」です。 月すめば 谷にぞ雲は 沈むめる 峰吹き払う 風に敷かれて So brillian…

西行(3) 出家直後

金曜日の読書は、12世紀の日本の歌人・西行法師の解説書”Awesome Nightfall” by William R. LaFleur を読んでいます。出家の原因は不明で様々な憶測がなされていますが、出家後の謎もあります。 ・どの寺院に属していたのか→どこにも属さないで庵(いおり、一人用の粗末な住居)に住んでいた?この点について全く言及がないことをこの本ではintentioal silence, loud silenceと言っています。  このころは宗派同士の争いが激しく、貴族や新興の武士階級も巻き込んで戦乱の時代が始まりつつありました。西行が出家した1140年には天…