寛政暦
幕府天文方の話題。高橋至時は伊能忠敬の先生で、間重富と共同して寛政暦(1798)を作った人です。暦は結局、地球と月の軌道を表す式の係数を観測により求めることに帰着します。寛政暦では楕円軌道とケプラーの三法則をオランダの本で勉強して使っています。係数のチェックは日食・月食・星食の予測です。高橋至時は寛政暦で日食の開始時間に15分の誤差が出たことを苦にして、結核を押して夜間の天体計測を続け、41歳で亡くなってしまいました。この厳しい職業倫理は武士の教育から来ているというのが私の考えですが、どうでしょうか(至時(よしとき)、という名前に決意が表れているように思います)。先人は範とすべきところが多いで…