金曜日の読書の西行の解説書、今回は保元の乱(1156)と平治の乱(1160)の解説とその前後の和歌の紹介です。保元の乱は、鳥羽上皇と崇徳院(鳥羽上皇の子供とされているが、鳥羽上皇の父の白河上皇の子とのうわさがあった)の不仲からきており、鳥羽上皇が崇徳院に権力を与えないように、またその子孫を天皇にしないように設定したため、鳥羽上皇の死の直後にクーデターを起こしたものです。その日のうちに制圧され、崇徳院は勝者である後白河天皇により四国の讃岐に配流されました。崇徳院は西行と親交のある歌人でしたが、8年後に死去し、日本三大怨霊の一人になったとされています(他は菅原道真と平将門)。平治の乱は、後白河上皇と二条天皇の間の権力争いが原因で、それぞれを支持する貴族たちの争い、それぞれにやとわれた平家と源氏の戦いなど、ドラマチックです。ここで平家が勝利し、藤原氏の有力貴族が共倒れになったところで慎重に勢力を伸ばし、「平家物語」の時代につながっていきます。西行は出家の身ながら状況を注視つつ、親しい貴族や僧と和歌を交換しています。
(詞書)さぬきにおはしましてのち、歌と云ふ事のよにいときこえざりければ、寂然かもとへいひつかはしける
ことのはの なさけたえたる おりふしに ありあふ身こそ かなしかりけれ
After retired Emperor Sutoku had gone to Sanuki and not much was heard in society any longer about poetry, I wrote the following and sent it to the monk Jakunen:
Grievous fate: to find / you’ve come to live at that /
juncture in time / when gathering of refined poets /
are a custom just become … extinct.
かさねきる 藤の衣を たよりにて 心の色を そめよとぞおもう
One on another / wisteria robes of mourning / ever deeper
suggest you might now dye / your life in the dharma’s depth.
はるかなる 岩のはざまに ひとりゐて 人目つつまで 物思はばや
Boulder-encircled / space, so far from everything /
that here I’m all alone: / a place where none can view me /
but I can review all things.
背景を含めて上手く英訳していると思います。