Why Nations Fail (6):第6章 包括的制度の喪失による没落:ベネチアとローマ帝国

金曜日の読書 Why Nations Fail 今週は6章、目からうろこの考察が続く章です。例として取り上げられているのが中世の都市国家ベネチアとローマ帝国本体です。
ベネチアはイタリアを長靴に見立てると、付け根の後ろ側(東側)に位置する港町です。AD810年に東ローマ帝国から独立を果たしました(このあたりは複雑です)。1310年に一種の貴族政治が確立するまでは繁栄を保ちました。ローマ帝国崩壊後途絶えていた地中海の公益を、独立の立場を生かして一手に担うことができたため経済的繁栄がもたらされました。特に、都市にとどまる資本家と船にのる無名・無産の商人がペアを組む制度が制度的イノベーションを誘発し、富の集積が起ります。特に市長を監視する議会とその議会が選挙でえらばれることが重要でした。しかし、500年の繁栄ののち、議会メンバーを世襲化する法律が通り、締め出された新興商人と対立が起こりますが、新興商人も議会に加えることで新規参入を拒絶する制度が1310年に完成します。著者によると、そこからベネチアの衰退がはじまり、歴史博物館としての都市になってしまったとのことです。ベネチアだけを見ればこれは正しいですが、私はヨーロッパの人口が増え多くの国が確立されたことによる変化が遠因ではないかと思います。都市にも寿命があるということでしょう。「生きている不思議 死んでいく不思議 花も風も街もみんなおなじ」というジブリの歌詞がありますが、司馬遼太郎も「菜の花の沖」で同じ趣旨のこと(人も船も街も・・・)を言っています。
ローマ帝国は、シーザーの革命とオクタビアヌスの帝政の確立でイノベーションが停まったというのが著者の解釈です。これは逆説的な経過で、市民(を守る護民官)とエリート層である元老院の対立から市民側の代弁者として帝政ができたのですが、かえってイノベーションを阻害する固定化(収奪的制度への反転)が起こり、衰退につながったという説です。それでもヨーロッパ~中東というフロンティアがあったので帝政確立(BC27)から五賢帝(AD180)までは繁栄が続きますが、AD193年に暗殺により皇帝が5人出るなどエリート層の権力争いによってガタガタになってしまいます。フロンティアの喪失がおこってゼロサムゲームになると寡頭制は脆いという一般則が成り立つでしょうか。現代の社会は地球をほぼ開拓し終わって、イノベーションによって創出したサイバー空間を開拓しているところという解釈もできます。その成長も終わってフロンティアは喪失した、という説を唱える人もいます。

私は次は宇宙があるし、人工知能による知的能力の飛躍的拡張がある、と楽観的に考えています。そのためには本書でいうinclusive institutionを維持しなければなりません。処方箋としては、年寄りは私心を捨て新規参入が常に起こるシステムを意識的に整備すること(例えば、江戸末期はそうなっていました)、若者は冒険心を忘れないこと、と言えるでしょうか。

“How Venice became a museum” ベネチアはどうして博物館になり下がったか。
”One of the key bases for the economic expansion of Venice was a series of contractual innovations making economic institutions much more inclusive.” ベネチアの経済的拡張のカギとなる基盤は継続的に起こった契約上の発明で、その結果経済制度がどんどん包括的になっていった。
“Young entrepreneurs who did not have wealth themselves could then get into the trading business by traveling with the merchandise.”
自分で富を持っていない若い起業家はそれで商品と一緒に旅をすることで貿易業に参入できた。
”Other goods on the ships and the ship itself can sometimes be dated using radiocarbon dating, a powerful technique used by archaeologists to date the age of organic remains.”
radiocarbon dating 炭素14による年代決定法
archaeologists アーキ「オ」ろジスツ 考古学者
remains 遺物
Roman ローマの
Carthaginian カルタゴの
”But Roman growth was unsustainable, occurring under institutions that were partially inclusive and partially extractive. Though Roman citizens had political and economic rights, slavery was widespread and very extractive, and the elite, the senatorial class, dominated both the economy and politics. Despite the presence of the Plebeian Assembly and plebeian tribute…”
Roman citizens ローマ市民
slavery 奴隷制
senatorial class 元老院階級
dominate 「ド」ミネイト 独占する
despite … ~にもかかわらず
Plebeian Assembly プり「ビ」ーアン 平民議会
plebeian tribute 護民官  tribute 賞賛、年貢(ねんぐ)、貢物(みつぎもの)
 

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