金曜日のZarathustra、今週は「永劫回帰」の時代背景を説明します。19世紀後半になって、熱力学第二法則(エントロピー増大則)の仕組みを解明しようとする研究が盛んになりました。S=k log Wで微視的状態数WとエントロピーSを結び付け(1877)、H定理(1872)とあわせてこの問題をほとんど解決に導いたのがボルツマン(L.E.Boltzmann)です。一方、天体運動のような少数の物体が関与する系では単純な微分方程式である運動方程式で運動の時間変化を追いかけられることがわかっていました。エネルギーは保存するため、微分方程式で書ける運動は止まることがなく、同じ状態を繰り返すのではないか?というケルビン卿(W.Thomson)による予想があり、これを証明したのがポアンカレ(H.Poincare)です。数学者のツェルメロ(E.Zermelo)や物理学者のマッハ(E.Mach)がこれを使ってボルツマンと論争し(ツェルメロの再帰説1896年–ボルツマン流の考え方ではエントロピーは増大一方ではなく時間的に振動し第二法則と矛盾、したがって原子のような微視的なものは存在しない(!))、ボルツマンは神経衰弱になって壊れてしまいました(1906)。最近まで私はこの論争をニーチェが知っていたのだと思っていましたが、Zarathustra第三部が書かれたのが1884年、ポアンカレの回帰定理の証明が1890年で前後関係が合わないので変だなと思いました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%81%AE%E5%9B%9E%E5%B8%B0%E5%AE%9A%E7%90%86
調べてみると、同じ関心を持つ人もいるみたいで、S.G. Brush, J. History of Philosophy 19, 235(1981)によるとニーチェの「力への意思」という本にケルビン卿の説が言及されているとのことです。話の前後はおかしくないことがわかって安心しました。
ボルツマンは、物体数が多い時は同じ状態に戻るまでの時間が非常に長くなるはずだと主張していましたが、反対者の説得はできなかったようです。現在では、原子があるのは当たり前(1900年代 J.Perrin & A.Einstein)で、量子力学の不確定性原理(1920年代 W.K.Heisenberg)や単純な微分方程式でもカオスを発生できること(1960年代 E.N.Lorenz)が理解されているので、同じ状態を何度でも繰り返すという「永劫回帰」という考えには違和感を抱くのが自然です。しかし、「時間の輪が閉じていて運命から脱出できない」という状況は寿命が無限ならば悪夢かもしれません。文明全体がこの状況に陥った話を扱うタイムマシンもののSFはたくさんあります。来週紹介しましょう。
Zarathustra 第三部から印象的な描写を拾ってみます。抜粋では面白さが伝わらないのが残念です。
“Observe,” continued I, “This Moment! From the gateway, This Moment, there runneth a long eternal lane BACKWARDS: behind us lieth an eternity.
Must not whatever CAN run its course of all things, have already run along that lane? …
And if everything have already existed, what thinkest thou, dwarf, of This Moment? Must not this gateway also – have already existed?
… And this slow spider which creepeth in the moonlight, and this moonlight itself, and thou and I in this gateway whispering together, whispering of eternal things – must we not all have already existed?
私は話を続けた。見るがいい、この「瞬間の門」を!ここから一つの長い永遠の道がうしろのほうへはるばると続いている。我々の背後には一つの永遠がある。およそ走りうるすべてのものは、すでに一度この道を走ったことがあるのではないだろうか?・・・すでにすべてのことがあったとすれば、こびと(重力の魔)よ、お前はこの「瞬間の門」をどう思うか?この門もまたすでにあったのではなかろうか?・・・そして、ここに月光を浴びてのろのろとはっている蜘蛛、この月光そのもの、そして門のほとりで永遠の問題についてささやきかわしている私とお前、われわれはみなすでにいつか存在したことがあるのではなかろうか?
lane 「れ」イン 小道、通り
dwarf ド「ワ」ーフ こびと a white dwarf 白色矮星
spirit of gravity 重力の魔
creep 這う(はう) 徐々に変形する(レオロジー用語)
whisper ウィスパー ささやく
whisper of ~についてささやく
eternal エ「タ」ーナる 永遠の eternity エ「タ」ーニティ 永遠
eternal recurrence 永劫回帰 この題名の歌があるみたいですね。この歌のように幸せなら何度繰り返してもいいのでしょうが…