今週の世界の研究所は、世界遺産の一部でもある「韮山反射炉」と「佐賀藩精錬方」をとりあげます。
https://www.city.izunokuni.shizuoka.jp/bunka_bunkazai/manabi/bunkazai/hansyaro/
戦国時代の1543年にポルトガルの脱走船(タイから)の漂着により種子島に鉄砲(火縄銃)が伝来してから、刀鍛冶による国産化(<1年)と武士による使用法研究で鉄砲は全国に普及しましたが、江戸幕府では実戦の必要がなくなり、4家(すぐ2家に減少)の世襲による鉄砲方が鉄砲術を武術の一種として維持しました。ところが、幕末に欧米諸国が来航するようになり、対抗上大砲を作る必要が出てきました。それまでの製鉄技術では鉄砲は作れても大砲鋳造のための均一な大量の融解鉄を作ることができません。ここで世襲の第36代韮山代官(現・静岡県伊豆の国市、伊豆半島の付け根に位置する)であった江川担庵(1801-55)が技術に明るいことから鉄砲方を命ぜられ、大砲を作る鉄の製作から始めたというものです。オランダから輸入した書物を用いて反射炉を作りました(佐賀藩が先行し、息子が完成)。彼は行政官でありながら極めて有能な技術者で、日本で最初にパンを焼いた、種痘を普及させた、ペリーから日本に贈られた模型機関車の運転法を見ただけでマスターしたなどいろいろ逸話があります。「江川塾」を開き全国の藩士に技術を伝授し、塾生にペリー2度目の来航の際の技術見学を手配するなど柔軟な考え方を持った技術官僚でしたが、東京湾防衛のための砲台設計(現在の東京お台場)、造船技術向上やロシア来航(安政の大地震で難破→代船を建造)の対応など大量の仕事を命ぜられ、過労のため亡くなってしまいました。何かで読んだ記憶では、冬に風邪をこじらせているところ韮山から江戸に緊急に呼び出され、雨の中を自分で馬に乗って142km(現在の値)移動したため回復不能になったという話でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%B7%9D%E8%8B%B1%E9%BE%8D
反射炉は、溶鉱炉の天井をドーム状のセラミック(耐火レンガ・セメント)にすることにより、燃焼から出る高温のガスに加えて赤外線を反射集中させて銑鉄の融点以上に加熱するための炉です。反射炉は製鉄には効率が悪く今は使われませんが、アルミ等のリサイクル用に使われているそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E5%B0%84%E7%82%89
韮山反射炉は、現存する稼働可能な製鉄用反射炉としては唯一のもので、地域の人々が大切にしていたことがわかります。
佐賀藩精錬方は次回5月6日。
火縄銃 a matchlock (gun) 「マッ」チろック
reverbertory furnace 反射炉 リ「ヴァ」ーバトリ ファーナス
blast furnace 高炉
blast = 突風、炉への送風、爆風、警笛の音 level 5
exhaust gas 排気ガス
retort furnace 乾留炉 リ「ト」ート
retort 動詞 言い返す level 7 名詞 レトルト(長い口が斜めについたフラスコ。蒸留器)、圧力釜
https://en.wikipedia.org/wiki/Retort
pressure cooker 圧力釜 = retort
レトルト食品 retort pack,retort(able) pouch, packed and sterilized food
sterilization ステラりゼーション 殺菌、滅菌、不妊化(断種) level 15
ration 米 「ラ」ション 英 「レイ」ション 一日分の配給、軍隊の糧食(field ration)
convection 対流 コン「ヴェ」クション